2009年07月29日

朝日新聞/辻陽明さんを偲ぶ会

朝日新聞/辻陽明さんを偲ぶ会 朝日新聞の市民派記者として活躍された辻陽明さんの訃報を知り、偲ぶ会が東京・有楽町で開催されるというご案内を陽明さんの愛妻・麻里子さんからいただいたので、みっきーと二人で鈍行に揺られながら上京しました。

 陽明さんとの出会いは2006年初夏でした。当時、小泉構造改革の功罪がいろいろと言われている中、陽明さんからお電話いただきました。
 「官から民へというキャッチフレーズのもとに導入された指定管理者制度について取材をしています。渡部さんは、その指定管理に移行した富士山こどもの国の立ち上げに行政の立場で携わったと知りました。お話を伺えませんか」というような内容の電話であった。
 「それでは、現地をご案内しながら、自分なりの感想や意見をお伝えしますよ」とお返事し、後日、広大な富士山こどもの国を一緒に歩きながら、指定管理者制度をはじめ、小泉改革についていろいろと意見交換をさせていただいた。
 当時、市民の力に光を当てる「新市民伝」という連載をされていた陽明さんは、ゆめ・まち・ねっとの活動にもたいへん興味を持ってくださり、「また、改めて、取材に来ます」と言って、お帰りになった。

 翌2007年の初夏、陽明さんは約束どおり、冒険遊び場たごっこパークの取材に来てくださった。今度は安倍内閣の教育再生会議が話題の時期だった。
 「政府の教育再生の方向は本当に正しいのか。それを渡部さんたちの活動を通して、描いてみたいんです。」
 すごい記者だと思った。なぜなら、政府の教育再生の是非をこんな田舎の数十人の子どもたちを相手にした小さな市民活動から検証しようというのだから。
 いらっしゃる前にホームページ・ブログの隅々まで読んできてくれたようだ。
 「2年ほど前のブログに渡部さん、こんなこと書いているけど、これはどういう思いからだったの?」なんていう質問に再び、驚かされた。取材先のことをここまできちんと調べて、来てくれたんだと感激をした。
 昼間、冒険遊び場たごっこパークの現場を見てもらいながら、あれこれとお話をしたあと、夜はたごっこはうすへ。
 ホームページの片隅に書いてあった「缶ビール片手にたごっこはうすへお越しください」という記載も見てくださっていたようで(笑)、ビールを調達してきてくれた。
 深夜遅くまで、子ども・遊び・教育のみならず、社会・経済のこと、政治・行政のこと、この国の行方について熱く語らい合った。

 そして記事にしていただいたものはこちらです⇒「もっと自由に遊ぼう」

 穏やかで温和で、そして熱く強い人だった。

 偲ぶ会に出席すると、陽明さんとお付き合いのあった日本NPOセンターの代表理事・山岡義典さんや公益法人協会理事長・太田達男さんなどがその思い出を語られた。
 そして、同僚の朝日新聞記者さんたちもそれぞれの思い出を語られた。前述のゆめ・まち・ねっとのことを隅々まで調べてから取材に来てくださったことは、どこの取材先に行くときにも一貫した陽明さんの取材姿勢であったと知った。
 最後に麻里子夫人からも闘病生活を含めて思い出が語られた。
 どの方のお話から出てくるエピソードも、自分たちも感じていたことではあったが、これほど、報道を通して、社会を変えようと燃えていた記者がいたのかと思えるようなことばかりであった。
 僕もみっきーも何度も何度も涙をこぼさずにはいられなかった。
 アルコールを飲みながらの立食形式の会であったのに、誰一人飲食をしない、雑談もしない。
 それぞれの方が語る在りし日の辻陽明さんから、その魂を受け継ごうとしているかのように聴き入っていた。
 僕らも思った。こうして地方のちっぽけな活動を政府の施策に対峙して描いて、全国紙に取り上げてくださった陽明さんの期待に応え続けられる活動をしていこうと。
 天国新聞の取材で再び、辻陽明記者が訪れてくれるような市民活動を真摯に地道にしていこうと。

 陽明さんの愛妻・麻里子夫人、そしてお二人の宝物の息子さん、娘さんともゆっくりお話をさせていただく時間があった。麻里子夫人は、「渡部さんたちのことは主人も帰ると興奮して話をしてくれました。」と。そして、僕がその取材の時に、冗談半分で「自称(自笑)県庁の星だったんですよ」と話したことも陽明さんは覚えていてくれたようで、「主人と『県庁の星(織田裕二主演)』という映画も観に行ったんですよ」と笑っていた。
 息子さんと娘さんは、背筋が伸びて凛として、素敵な目をした青年と女性だった。息子さんは「渡部さんたちの書いたこの記事のことは僕もよく覚えています。父が取材をした人に直接お会いするということは滅多になかったので、とても嬉しいです。今度、必ず、たごっこパークに遊びに行きます。」と涙を浮かべながら、でも本当に嬉しそうにお話をしてくださった。

 闘病生活中に練っていた企画は、「ニッポン人脈記/NPO編」だったという。
 社会を変革しようとする市民の力をどう描こうとしていたのか、陽明さんの記事を読みたかった…。
 だが、この企画も陽明さんの逝去で終わりとはならないようだ。偲ぶ会で同僚の記者さんたちが必ずや記事にして、世に問い掛けると熱く、宣言されていた。

 辻陽明さんは食道癌のため53歳の若さでお亡くなりになった。

 しかし、その魂は多くの人に引き継がれた。

 ご冥福をお祈りします。



 偲ぶ会で陽明さんの志がたっぷり詰まった記事の数々をたっぷり掲載した本『希望-市民とともに歩んだ記者、辻陽明さんを偲んで-」をいただいてきました。
 これはぜひ、多くの方に読んでほしいです。たごっこはうすにお越しいただけたらお貸しします。
 また、入手をされたい方は朝日新聞東京本社経済グループ(電話/03-3545-0131)にお問い合せください。1000円でお譲りいただけるそうです。


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Posted by たっちゃん&みっきー@ゆめ・まち・ねっと at 13:29│Comments(0)つながりをありがとう
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