2009年02月28日
冒険遊び場たごっこパーク
2月23日(月)の開催日は、冬の冷たい雨が時折激しく降る天候でした。
今日は誰も来ないだろうなぁ…と思いながら、公園の一角で焚き火をして、暖をとっていると、6年生のマユと5年生のリナが元気いっぱいにやってきました。
焚き火でお玉に入れた砂糖水を煮詰め、なんと雨の中、水溜りでそのお玉を冷やしてベッコウ飴を作る二人。
このところ心労の続く出来事に巻き込まれ、ブログの更新もままなりませんでしたが、寒い雨の中、僕らを頼りに遊びに来てくれ、嬉々として過ごす二人の姿にこちらが元気をもらいました。
こんな子どもたちのために僕らがやれることをこれからも地道に一歩、また一歩…、外野からの声にぶれることなく、進むべき道はいつも子どもたちが導いてくれることを忘れずに、活動を継続していこうと思います。
マユ、リナ、ありがとう。
NPO法人ゆめ・まち・ねっと/たっちゃん
2009年02月05日
寄贈/デスクトップパソコン

2004年購入のパソコンがエクセルを立ち上げるのに20分とかワードを一行打つとフリーズとかそんな状態だったので、本当に助かりました。
まもさんにはこれまでもデジカメやパソコンなど情報機器をたくさん寄贈していただいています。
子どもたちの様子とそこから見えてくるもの、そして僕ら大人がなすべきことをたくさん情報発信していくことで寄贈の恩返しにしていきたいと思っています。
ゆめ・まち・ねっとの活動はそのほかにもここに書ききれないほどのたくさんの共感と支援により成り立っています。
みなさん、本当にありがとうございます。
2009年02月04日
2009年02月04日
子どもたちから教えられたこと、全国各地へお届けします。

たっちゃん&みっきーも、冒険遊び場たごっこパーク、長期休みガキンチョ団、などの子どもの居場所づくり実践を通して、子どもたちから教えられたことを素材に全国各地で講演させていただいています。
また、冒険遊び場たごっこパークのような活動を始めるための学習会やNPOと行政の協働、市民活動などをテーマにした講演や事例報告などもこれまでに多数、お引き受けしています。
全国各地のみなさんと出会えることを楽しみにしています。
【これまでの講演会・学習会実績】←クリック
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2009年02月04日
たっちゃん(渡部達也)プロフィール
研修会、学習会などでの講師依頼をしてくださる方々からプロフィールを求められるので、かなりお手盛りですが、記しておきます。

1965年、静岡県三島市に生まれる。
2歳の時、親が目を離した隙に風邪薬をラムネ菓子か何かと間違えたか、大量に食べ、生死の境を彷徨う。
以後、父からは「神様に助けられた命だから、人の役に立つ生き方をするんだぞ」とことあるごとに諭されることになる。
3歳からは静岡県裾野市で育つ。
現在も両親は裾野市の実家に在住。
遊びの天才児として毎日、夕飯どきまで遊ぶ日々を送る。
思春期には何かに躓きそうになると父が掛けてくれる「達也は大器晩成だから」の言葉に励まされたり、癒されたりしながら、成長。
中学時代の恩師の影響で社会科が好きになり、まちづくりに興味を持つようになる。
沼津東高校卒業後、茨城大学人文学部で現代政治学を専攻。
所属ゼミの恩師の教えにより、自分が思い描くまちづくりを実現する手段として静岡県庁入庁。
児童相談所ケースワーカーや富士山こどもの国の設立・運営、国体および全国障害者スポーツ大会の広報などに携わったほか、(財)静岡経済研究所派遣研究員なども経験。
自称(笑)元県庁の星。
先輩・上司にも恵まれ、やりがいのある仕事を数々させていただいたが、「行政」という手法によるまちづくりと自分がやりたいまちづくりに次第に溝を感じるようになる。
私的な時間を使って、地域での子どもたちの遊び場づくりに関わり、静岡県内8市町で冒険遊び場の立ち上げを支援。
障害者野球チームのコーチなども経験させていただく。
市民だからできることの可能性を信じ、まちづくりという夢を追い求め続けるために、16年余務めた静岡県庁を2004年夏に中途退職。
同年秋、NPO法人ゆめ・まち・ねっとを愛妻と仲間ともに設立。
「人にやさしいまちづくり、そして、人がやさしいまちづくり」を掲げて子どもたちの居場所づくりを中心に大人の共感の輪を広げるべく活動中。
⇒よく聞かれること…ブログ記事「なんで県庁を辞めたの?」
現在は、静岡県富士市において、各週末(夏休み・春休みは毎週末)開催の「冒険遊び場たごっこパーク」と旧東海道沿いの商店街の空き店舗を活用した「子どものたまり場・大人のだべり場/おもしろ荘」を軸に、子どもたちの居場所づくりに取り組んでいる。
また、これらの活動を通じて出会う、様々な個性・特質、家庭環境等により生きづらさを抱える子どもたちと何気ない日常を重ねることに努め、そうした子どもを持つ親の相談にのることも多い。(といっても一緒に悩むぐらいしかできないのですが…。)
「冒険遊び場たごっこパーク」の活動には、たくさんの視察や見学もある。
とくに大学生の研修、見学希望は多く、静岡大学、静岡県立大学、鎌倉女子短大、創価大学、武蔵大学、千葉大学、富山大学等々とたくさんの大学から学生が訪れている。
多彩な講師を招いて、子育てを支援する講演会や勉強会なども企画し、親、地域の人たちとのつながりも築いている。
⇒これまで企画した講演会や勉強会
「子どもと遊び」を切り口にした個性的なまちづくり活動は、日本テレビ「ミヤネ屋」で特集が放映されたほか、静岡県内の民放テレビ、ラジオ、新聞でもたびたび特集で取り上げられている。
⇒収録したDVDがあります
地域での市民活動のほか、愛知県豊田市、滋賀県東近江市などでの遊び場づくり支援、東は宮城県、福島県、西は和歌山県、岡山県まで全国各地の研修会、学習会、シンポジウムなどに呼んでいただき、子どもたちに温かなまなざしを向ける大人の輪を広げている。
静岡県富士市で市役所新規採用職員研修の講師を務めたり、静岡県焼津市や埼玉県入間市などでも市役所職員研修の講師を担当。
「行政と市民の協働」や「市民活動」などをテーマにした講演なども多い。
静岡大学、浜松学院大学、静岡県立短期大学などでは学生向けの講義も。
生活障害(発達障害)のある我が子の養育、同様な特質のある子どもたちとの出会い、そうした子どもたちを適切に理解するための専門家からの研修などを通して学んだことを静岡県立富岳館高校、富士宮西高校等の教職員研修でお伝えしたりもしている。
⇒これまでの実績・今後の予定
ブログ(インターネット)での情報発信にも力を入れており、最近は情報誌からの寄稿依頼も多く、2009年4月から6月には静岡新聞のコラム欄「窓辺」に毎週、計13本のコラムを連載し、多くの反響を得た。
こちらで読めます。⇒静岡新聞「窓辺」
月刊「社会教育」、月刊「体育科教育」、季刊「ユニバーサルデザイン」、季刊「臨床心理学」等にも小論を寄稿。
2011年夏休みには「日本教育新聞」にコラムを4本連載。
2011年10月からは読売新聞静岡版にて隔月でコラムを連載中。
2006年、安藤スポーツ・食文化振興財団(日清食品系)の「トムソーヤスクール企画コンテスト」において、全国最優秀賞の『安藤百福賞』受賞。
2011年、「あしたのまち・くらしづくり活動賞」(読売新聞、NHK、 (財)あしたの日本を創る協会など主催)において、『総務大臣賞』受賞。
子どもが地域で自由に豊かに遊ぶことが当たり前の社会になり、そして、どんな仕事よりも子育てが最も尊い仕事なんだという認識が社会に広まり、ゆめ・まち・ねっとのような活動が必要なくなる社会を築きたいと夢見る日々。
と、カッコよく綴ってみましたが、いろんな人に迷惑を掛けたり、助けてもらったり、支えてもらったりの半生。
そうしたことへの罪滅ぼしや恩返しも含めて、残りの半生を少しでも地域づくり、まちづくり、子どもたちの居場所づくりに費やしていけたらと思っています。
もちろん、大海の一滴にすぎないと思いますが。
1965年、静岡県三島市に生まれる。
2歳の時、親が目を離した隙に風邪薬をラムネ菓子か何かと間違えたか、大量に食べ、生死の境を彷徨う。
以後、父からは「神様に助けられた命だから、人の役に立つ生き方をするんだぞ」とことあるごとに諭されることになる。
3歳からは静岡県裾野市で育つ。
現在も両親は裾野市の実家に在住。
遊びの天才児として毎日、夕飯どきまで遊ぶ日々を送る。
思春期には何かに躓きそうになると父が掛けてくれる「達也は大器晩成だから」の言葉に励まされたり、癒されたりしながら、成長。
中学時代の恩師の影響で社会科が好きになり、まちづくりに興味を持つようになる。
沼津東高校卒業後、茨城大学人文学部で現代政治学を専攻。
所属ゼミの恩師の教えにより、自分が思い描くまちづくりを実現する手段として静岡県庁入庁。
児童相談所ケースワーカーや富士山こどもの国の設立・運営、国体および全国障害者スポーツ大会の広報などに携わったほか、(財)静岡経済研究所派遣研究員なども経験。
自称(笑)元県庁の星。
先輩・上司にも恵まれ、やりがいのある仕事を数々させていただいたが、「行政」という手法によるまちづくりと自分がやりたいまちづくりに次第に溝を感じるようになる。
私的な時間を使って、地域での子どもたちの遊び場づくりに関わり、静岡県内8市町で冒険遊び場の立ち上げを支援。
障害者野球チームのコーチなども経験させていただく。
市民だからできることの可能性を信じ、まちづくりという夢を追い求め続けるために、16年余務めた静岡県庁を2004年夏に中途退職。
同年秋、NPO法人ゆめ・まち・ねっとを愛妻と仲間ともに設立。
「人にやさしいまちづくり、そして、人がやさしいまちづくり」を掲げて子どもたちの居場所づくりを中心に大人の共感の輪を広げるべく活動中。
⇒よく聞かれること…ブログ記事「なんで県庁を辞めたの?」
現在は、静岡県富士市において、各週末(夏休み・春休みは毎週末)開催の「冒険遊び場たごっこパーク」と旧東海道沿いの商店街の空き店舗を活用した「子どものたまり場・大人のだべり場/おもしろ荘」を軸に、子どもたちの居場所づくりに取り組んでいる。
また、これらの活動を通じて出会う、様々な個性・特質、家庭環境等により生きづらさを抱える子どもたちと何気ない日常を重ねることに努め、そうした子どもを持つ親の相談にのることも多い。(といっても一緒に悩むぐらいしかできないのですが…。)
「冒険遊び場たごっこパーク」の活動には、たくさんの視察や見学もある。
とくに大学生の研修、見学希望は多く、静岡大学、静岡県立大学、鎌倉女子短大、創価大学、武蔵大学、千葉大学、富山大学等々とたくさんの大学から学生が訪れている。
多彩な講師を招いて、子育てを支援する講演会や勉強会なども企画し、親、地域の人たちとのつながりも築いている。
⇒これまで企画した講演会や勉強会
「子どもと遊び」を切り口にした個性的なまちづくり活動は、日本テレビ「ミヤネ屋」で特集が放映されたほか、静岡県内の民放テレビ、ラジオ、新聞でもたびたび特集で取り上げられている。
⇒収録したDVDがあります
地域での市民活動のほか、愛知県豊田市、滋賀県東近江市などでの遊び場づくり支援、東は宮城県、福島県、西は和歌山県、岡山県まで全国各地の研修会、学習会、シンポジウムなどに呼んでいただき、子どもたちに温かなまなざしを向ける大人の輪を広げている。
静岡県富士市で市役所新規採用職員研修の講師を務めたり、静岡県焼津市や埼玉県入間市などでも市役所職員研修の講師を担当。
「行政と市民の協働」や「市民活動」などをテーマにした講演なども多い。
静岡大学、浜松学院大学、静岡県立短期大学などでは学生向けの講義も。
生活障害(発達障害)のある我が子の養育、同様な特質のある子どもたちとの出会い、そうした子どもたちを適切に理解するための専門家からの研修などを通して学んだことを静岡県立富岳館高校、富士宮西高校等の教職員研修でお伝えしたりもしている。
⇒これまでの実績・今後の予定
ブログ(インターネット)での情報発信にも力を入れており、最近は情報誌からの寄稿依頼も多く、2009年4月から6月には静岡新聞のコラム欄「窓辺」に毎週、計13本のコラムを連載し、多くの反響を得た。
こちらで読めます。⇒静岡新聞「窓辺」
月刊「社会教育」、月刊「体育科教育」、季刊「ユニバーサルデザイン」、季刊「臨床心理学」等にも小論を寄稿。
2011年夏休みには「日本教育新聞」にコラムを4本連載。
2011年10月からは読売新聞静岡版にて隔月でコラムを連載中。
2006年、安藤スポーツ・食文化振興財団(日清食品系)の「トムソーヤスクール企画コンテスト」において、全国最優秀賞の『安藤百福賞』受賞。
2011年、「あしたのまち・くらしづくり活動賞」(読売新聞、NHK、 (財)あしたの日本を創る協会など主催)において、『総務大臣賞』受賞。
子どもが地域で自由に豊かに遊ぶことが当たり前の社会になり、そして、どんな仕事よりも子育てが最も尊い仕事なんだという認識が社会に広まり、ゆめ・まち・ねっとのような活動が必要なくなる社会を築きたいと夢見る日々。
と、カッコよく綴ってみましたが、いろんな人に迷惑を掛けたり、助けてもらったり、支えてもらったりの半生。
そうしたことへの罪滅ぼしや恩返しも含めて、残りの半生を少しでも地域づくり、まちづくり、子どもたちの居場所づくりに費やしていけたらと思っています。
もちろん、大海の一滴にすぎないと思いますが。
2009年02月04日
なんで県庁を辞めたの? ~市民活動だからできること~
たっちゃんは元県庁職員でした。2004年、38歳の時に静岡県庁を退職し、愛妻・みっきーと、協力してくれる仲間とともにNPO法人ゆめ・まち・ねっとを設立しました。
現在は静岡県富士市を拠点に年間100日、「冒険遊び場たごっこパーク」という子どもたちの居場所づくりに取り組んでいます。
そこで出会う子どもたちから導かれるままに、様々な子育ち支援に取り組んでいます。
ブログには書けないような内容のこともたくさんあります。
様々なお立場のいろんな方から共感をいただき、市民活動の輪を広げています。
そんな実践を評価していただき、静岡県内はもとより、全国地にお呼びいただき、講演会や学習会、シンポジウムなどにも協力をさせていただきながら、市民活動の志を多くのみなさんと語り合ったりもしています。
で…講演会やシンポジウムなどにお招きいただいた先々でいつも聞かれます。
「たっちゃんはなんで県庁を辞めちゃったの?」、「みっきーはなんで県庁を辞めることを認めちゃったの?」
そうですよね。このご時勢、県庁職員をしていたらリストラはないですし、給料は毎年、確実にアップしますし、役職も年齢とともに確実に上がります。福利厚生も恵まれていますし、退職後も安心です。
なんで辞めたか。
「いやぁ、金髪にしてみたかったんですよね。でも、さすがに県庁職員で金髪ってわけにもいかないだろうから、退職をしようかなと。」
ウソです。
まちをおもしろくするために自分たちができることを考えていたら、自然と流れは県庁職員&セレブ妻(?)という立場から市民活動をやるおっちゃん&おばちゃんに変わっていったわけです。
まちをおもしろくする、まちを暮らしやすくする、まちをわくわくどきどきさせる、そんなことがやりたくて県庁に入りました。
富士山こどもの国、国民体育大会、全国障害者スポーツ大会、浜名湖花博…まちをおもしろくするための県庁ならではの大きな仕掛けづくりに携わらせてもらいました。
どの仕事も一生懸命やりましたし、楽しかったですし、いろんな成果も得られました。
だけど…まちのわくわくどきどきって、もっと違う育み方があるんじゃないかなぁと年々感じるようになりました。
例えば、行政では、児童の健全育成、地域の安全対策、環境保護、商店街の振興…様々な社会的課題に対して、県民の声を聴き、県民とともに行動するという仕掛けづくりをします。
でも、その声を聴く場って、ほとんどが会議室で開催される「青少年問題対策会議」だったり、「地域安全対策協議会」だったり、短時間の商店街現地視察だったりするわけです。
いわゆる各種団体の長と呼ばれる人たちが参加します。いろんな団体の長を務める人たちですから、確かに様々な知恵が出されます。出された知恵を実行に移すための動員力もあります。県庁+各種団体、ですからね。
県庁を中途退職し、ゆめ・まち・ねっとで取り組んでいることは、まったく逆の手法です。
県庁という大きな組織だからできることではなく、どの地域でも、誰でも取り組めること。そんなことにこだわってきました。
子どもたちのこと一つとっても、国には文部科学省と厚生労働省という組織に分かれています。
だから、県でも市でも子どもたちを取り巻く課題の解決に欠かせない教育・福祉・医療の三本柱が連携するということはなかなか難しいのです。
実際、たっちゃんも県児童相談所のケースワーカー時代にそのことを痛感しました。
そして、子どもの育ちを支援するのに教育、医療、福祉以上に欠かせないのが毎日、毎日、遊ぶことだと思うのですが、そのことに専門的に取り組む行政部署はありません。
ですから、行政ではできないこと、市民だからできることとして、子どもたちの居場所づくりに取り組んでいるのです。
小学生を中心とした世代が生き生きと遊べる場づくり。
思春期の子どもたちに教育・福祉・医療という枠にこだわらずに大人が向き合う場づくり。
行政のように、青少年問題連絡協議会で対策を講じるのではなく、市民活動らしく、一人ひとりの親と語り合い、活動し合う。
行政のように、地域団体に補助金を交付して協力を依頼するのでなく、市民活動らしく、一人ひとりの地域の人と小さなことを積み重ねて、結び付き合う。
行政のように、各大学に学生のボランティア動員を要請するのではなく、市民活動らしく、一人ひとりの学生との出会いを大切にし、響き合う。
政治や行政の取り組みに比べたら、ほんとに小さなゆめ・まち・ねっと流の仕掛けですが、一人ひとりの方がそれぞれの個人の立場と気持ちで関わり、つながってくださっています。
だから、子どもたちの弾けるような笑顔が見られます。
時には悩みや悲しみを真剣に語ってくる時もあります。
ふとしたつぶやきを聞かされる時もあります。
市民活動だからできる子どもたちの居場所づくり。
そして、そんな子どもたちの笑顔やつぶやきに出会い、大人たちも大人として今、やらなければならないことを考え、行動する。
年間行事予定に沿ってではなく、今、この時、この子たちのためにできることをやる。
市民活動だからできる大人の共感の輪を広げること。
もちろん、まだまだ試行錯誤の毎日です。
失敗をすることもあれば、いろんな人に迷惑を掛けることもあります。
でも、多くの人に支えられて、まちのわくわくどきどきを政治・行政とは違う形で育むことができている、そんな実感を日々いただいています。
そんな毎日をこのブログでお伝えしていきます。
これまでの4年半の歩みはこちらのブログ⇒ゆめ・まち・ねっと日誌